1章:ふたりの出会い|あとりえどりー一家物語

1994年に結婚式を挙げたエクシブ鳥羽の庭園
この記事は約5分で読めます。
kyon
kyon

こんにちは、まごきょんです^^

 

今回は、あとりえどりー一家物語の『第1章:ふたりの出会い』についてお話してみようと思います。

 

「ふたりって、だれだれなん?!」って思われた方、すみません。わたくし、まごきょんといっさん(ダンナさん)との出会いです(*ノωノ)

 

今年で結婚25周年を迎えますゆえ、いまさら感も否めないのですが…。

 

ただこの出会いがないと、今の私たちは存在しませんので、照れくささをそっと横におきつつこの章はサラッと行ってみたいと思います^^;

 

今回は「へぇ~こんな出会いもあるのねぇ~」と、興味本位でご覧ください。(笑)

 

 

時はさかのぼること、1988年。(なんと!まだギリギリ昭和ですよっ)

 

私(まごきょん)は、滋賀県の高校を卒業後、名古屋の服飾専門学校へ進み、実家をでて寮生活をしていました。

 

専門学校なので製作が多く、とことん課題三昧でした。でも、小さい頃から作ることが大好きだったので、学校生活はとても充実していたものです。

 

そして1年生の秋になり、念願だった車の免許を取ろうと、某有名自動車メーカーが経営する、車校の夜間コースに通いはじめたのです。(「車校(しゃこう)」は「自動車学校」の名古屋弁?)

 

小さい頃から何度も通った鈴鹿サーキットのモートピアで、乗り物の運転については、ほぼマスター(?)していたので、順調に実技をこなしていました。(教官に「楽しそうに運転するなぁ」と言われたことも…)

 

そして、いよいよ仮免許の試験当日。同じ車に乗り合わせて試験を受けたのが、今のだんな様、いっさんでした。

 

試験の順番を並んで待つ間に「なぁ、コース覚えた?」と、私に声をかけてくれたのです。

 

・・・はい。

 

kyon
kyon

今から思えば、あれはナンパだったのでしょうか?(笑)

 

ちなみに、いっさんは和歌山県から名古屋の大学へ進学して、同じく寮生活をしていました。

 

なんだかんだと、同い年だし関西だし意気投合した私たち。

その後も、自動車学校で一緒に勉強したりして励まし合い、ラストの免許取得試験も一緒に受けて、ドキドキしながら発表を待ちました。

 

とまあ、結局無事に免許が取れたまでは、良かったんです。

 

良かったんですが、これで明日から会う口実がなくなってしまった…。当時は、携帯電話はもちろんなく、しかもお互い不自由な寮生活。(寮には電話が1台しかありませんからね~)

 

ってことで、この日めでたくお付き合いすることが決定したのでした。(って、まだ付き合ってなかったんか~い!)

 

それからも、なんだかんだでお付き合いを続けつつ、私が先に卒業。名古屋のアパレルメーカーに就職しました。(専門学校は3年制なので)

いっさんは、1年後に大学を卒業し、名古屋の旅行会社へ就職。

 

それぞれが、アパートを借りて一人暮らしをしていたので、毎日の電話代とか家賃とかが….。

 

ん?!どう考えても、もったいないやん。

いっそ、一緒に暮らしちゃおっか。

あ、でも同棲はなんかね・・・じゃあもう入籍する?!(意外にも私の父のすすめもあったり…)

 

と言うわけで、24歳の時に自然な流れで結婚となりました。

 

急な展開だったので、まずは引っ越しと入籍を済ませ、結婚式については、ゆっくりじっくりと楽しみながらすすめることに^^

 

そして、1年後の入籍と同じ日に、無事に結婚式を挙げることができたのです。(さらに翌年、新婚旅行に行きました^^)

 

今でも思うのですが・・・

この結婚にともなう数々の大きな人生のイベントである引っ越し、結婚式にハネムーンって、なにも、無理して(?)一度にやってしまう必要ってないんじゃないかと…。

 

これらをすべていっぺんにこなすのって、相当なパワーがいりますよね。だから、ひとつひとつを丁寧に、心から楽しむ余裕なんてないのでは……!?

なんて、思ったりして。

 

結婚した時期が、ちょうど観光シーズンで繁忙期だったいっさんが、まとまったお休みを取れなかったという理由もあります。

ですが、私たちは、これらを1年ごとに行いじっくりと味わうことができて、本当に良かったなぁ~と思っています^^

 

ちなみに、結婚当時はまだ田舎暮らしへの憧れは、微塵もなかったですし、いつかログハウスに住みたいという夢も、自分の奥底に眠ったままでした。。。

 

2章:名古屋での暮らしへつづく…

 

〔あとりえどりー一家物語〕目次
タイトルとURLをコピーしました