2章:名古屋での暮らし|あとりえどりー一家物語

名古屋栄のテレビ塔!
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kyon
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こんにちは、まごきょんです^^

今回は、あとりえどりー一家物語の『第2章:名古屋での暮らし』についてのお話です。

 

 

前回の章、ふたりの出会いにて、無事に結婚したわたしたちでしたが、新婚生活をスタートさせたのは、4階建て賃貸マンションの4階の部屋。

 

全部で20世帯ほどの、それほど大きなマンションではなく、当然オートロック式とかでもなく、エレベーターもありません(笑)

 

なのに、4階に住んでいたので、荷物の多い日は地獄でした・・・。

 

まず仕事ですが、いっさんはもちろんそのまま旅行会社で勤務続行中。ただし、営業で外回りだったのが、いきなり本社で仕入れや企画の部署へ移動です。

 

なので、ある意味やりがいはあっても、息がつまったのでしょうね~。ほぼ電話ばかりという日も続いて、背中の筋肉を挫傷したりして、かなり気の毒でした。

 

私はというと、結婚を機にアパレルメーカーを退職したので、フリー。でも、専業主婦は性に合わず、知人の紹介である某有名テーマパークの名古屋支社で、アルバイトをしました。

 

またその当時、どうしてもインコを飼いたくなって(小さい頃いつも飼っていたので)地下鉄通勤なのに、バイト先にもヒナを連れてエサをあげていました^^;(よく許してもらえたなぁ・・・)

 

その時のインコPicoさんは、いつも私たちを癒してくれる大切な存在。最後まで一緒にいてくれ、13歳でこのログハウスから旅立って行きました。。。(ノд-。)クスン

 

・・・っと、話をもどして、

いっさんは、同じ旅行会社で、勤続してくれていましたが、わたしは、その後転々といろんな職業につきました。

 

新卒で入社したアパレルメーカーで、組織の一部になり身を粉にして働く事に限界を感じたので、好きだった服飾からは遠ざかってしまい・・・

 

結婚後に就いたテーマパークの事務アルバイトの次は、お給料の良さについ惹かれ、歩合制の英語教材の営業に紹介されて電話営業もやってみたりしました^^;

 

ただ、そこでまたかなり無理をしたためストレスから体調をくずし、とうとう、はじめて花粉症を発症(ノω・、) ウゥ・・・(そのため、まったく味がしなくなること1ヶ月以上という過酷な経験も…泣)

 

その後、再び服飾学校関係のソフトを開発する会社で初めてパソコンを触る機会に恵まれました。

あの”Windows95”が、世に出たばかりの頃です。

 

新卒当時、パターン作成のためのアパレルCADは、業務上使っていました。

 

でも、ソフト次第で何でもできちゃうパソコンって、可能性が無限大です。ホントにスゴイなぁ~と、どんどん夢中になっていきました。

 

もともと、料理か、服飾か、コンピュータ関連に進みたかった私。そのころは、まさにお給料をもらいながらパソコン教室に通っている状態。

仕事から、いろんなことを吸収するのがすっごく楽しかったです。

 

とうとう自宅にも、あの大きくてごっついデスクトップ型のパソコンを購入し、アナログな電話回線でインターネットにも繋ぐほどの夢中ぶり。

 

っと、まぁ仕事面では、お互いそれなりにやりがいを感じて頑張っていました。ただ、家庭内ではあらゆる問題が勃発?!

 

長くなりそうなので、つづきます^^;

 

2章:名古屋での暮らし(つづき)へつづく…

 

〔あとりえどりー一家物語〕目次
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